じんぴクラブ活動。植物の繊維から糸をつくって遊ぶ部活です。
この日は野原の『からむし』から糸を作ります。
素敵なハンドメイド作品をたくさん作る、物知りでマニアなWさんと楽しい作業です。
『からむし』はイラクサの仲間。
店主は、生の新鮮なからむしに どっぷり つきあうと皮膚がかゆくなります。
漢字二文字で書くと『苧麻』。カタカナでいうと、ラミー。
縄文時代から繊維利用されてきた植物です。
越後上布など、夏用の高級衣料品として用いられました。
越後や米沢など、諸藩の大きな財源ともなり、あちこちで栽培されていたようですが、その子孫たちが雑草として憎まれながら、のびのび生きています。
文字も残らない古い時代から、江戸時代に綿が普及するまで、
日本の長い歴史の中、圧倒的大多数の人々の身を包んできたのは、麻ー『大麻』でした。
千葉県君津市で染織伝承館『布衣風衣』を営む渡辺ご夫妻は、
失われてゆく日本の手仕事を何とか次世代に託したいという思いから
長年にわたり各地の日本の染織を取材し記録に取り、伝承活動をされています。
799年、ひとりのインド人の青年が三河の浜辺に漂着しました。
彼は携えていた一弦の琴を弾き、持ち物を売って家を建て、この国に住み着きました。
日本に初めて『綿』をもたらしたのは、この青年であったと伝えられています。
彼がもたらした綿の種は、紀伊・淡路・丹波・讃岐・伊予・土佐・太宰府に植えられました。
ただ、日本の気候にはあわなかったらしく、ほとんどが絶えてしまったようです。
綿花は乾季のカラリとした気候の中で実を著けます。
一年中多湿な気候で、また当時の地理的にも、なかなか難しかったのでしょうか、
この国に定着することはありませんでした。
川原べの葛を刈り取り、煮て発酵させ、川で洗って葛苧(くずお=繊維)をとります。
とれた苧は割いてつないで糸にして、機を織ります。
葛苧採り、今日はお二人お手伝いに来てくださいました。
川での洗い出しは気持ちが良いです。
本日は糸作りです。
先生は、糸作りの熟練者タケノさんにバトンタッチ。
水に浸した青苧を、手で裂いて細くしてゆきます。
そこからがたいへん!
青苧の繊維を、手で!つなげて長~くしてゆきます!(苧績みといいます)
私などは体験なので、ある程度ですが、たとえば着物一着、縦糸分作るには、・・・
と考えると、気の遠くなる作業。
むいた表皮を水につけてふやかしている間、お昼をいただきました。
初『高遠そば』!
大根の搾りつゆで食べるそうです。
見るのも食べるものはじめて。
同席の女性が『きのうはからむしの天ぷらいただきましたよ』
すると、からむし先生のタイさんが、
『あんなもん、めずらしだけで、ンまかね』
名物なのに、一刀両断!
さて、お昼を食べたら『苧引き(おひき)』の時間です。
参加者は6名。
なんだかディープで知的な話をしていると思ったら、学者さんが2名、麻を学んで来年はからむし織りを専門に志す女の子、山形で苧麻を復活させようとがんばっている農家の男性・・・など、ホイホイと何も考えずに来たのは、フセともう一人の女子大生の女の子だけ(仲間に入れてゴメン)?でした。
話を聞いていると、からむし専門家は『麻』といえば『大麻』、苧麻は『からむし』と明確に区別しているようです。
さて、お昼を食べたら『苧引き(おひき)』の時間です。
『麻』を追うフセ。
なんだかんだで昭和村にたどりつきました。
途中初曲がり屋風景に感動し、タクシーの運転手さんのキノコとりの話に感心し、
初東北に見るもの聞くもの珍しく、リポートしたいのはやまやまですが、今回はからむしが主役です。
休むまもなく『からむし』の畑に直行!
↑これが、『からむし』だ!
畑ではすでに、からむし体験生のみなさんが、刈り取り終えたところでした。
私も初カマを握り、からむしを刈り取ります。
寝具専門店で働いていたわたしは、その時思いました。
『麻』って私、よくわかっていない・・・
日本で『綿』が普及したのは江戸時代以降といわれます。
それ以前は、どんなに栽培しようとしてもうまくいかなかったそうです。
この国で日本人の身体を包み、守ってきたのは圧倒的に『麻』なはず。
身に着けてみると、夏だけではなく冬だってべつにイケル。
『綿』よりもむしろ『麻』の方が、多湿の日本の気候に対応しやすいのでは?
でも、それがどんな植物か見たこともないゾ?
それならば、行ってみてこよう!
と、いうことで、『麻』の正体を追う旅に行ってまいりました!
* * * * * * * *
さらりと説明させていただきます。
現在品質表示で『麻』と表記されるのは、『苧麻』と『亜麻』それぞれ、カタカナで『ラミー』と『リネン』。
『苧麻』は和名『からむし』といいます。
『からむし』を栽培する生産地は、本州でただ一箇所。
福島県昭和村です。
福島。となりの県だし新潟に近いところだから、始発で出たら午前中には着いちゃうのかと、
・・・あなどっていた。
昭和村の最寄り駅、会津川口を通る『小出線』は一日に3本。
たったの3本。
仕事が終わった足で小出に向かって、そこで一泊しなければたどり着けない。
さらに小出についた途端、激しい雨と雷におそわれました。
『なんか、ついさっきからなんだよ!』とタクシーの運転手さん。
自分のせいな気さえしました。
翌朝5時半ごろ始発の小出線に乗り、しばらくすると、車掌さんが
『小出線大雨のため、運休になりま~す』
ガビーン。
代行でタクシーが出るらしいですが、
『8時23分までに会津川口に着かないと、バスも一日3本なんで・・・』
『その先の補償はできません』
無情な・・・
小出からやって来た代行タクシーの運転手さんに
『8時23分までに会津川口に着きたいんですけど』というと、
同乗の乗客のお兄さん(川口方面にむかう乗客は私とこのお兄さんだけだった)が
『あ~、それは厳しいですね~』
お兄さんは鉄道ファンらしく、このあたりの交通状況をよく知っているらしい。
運転手さんも猫バスのような勢いで走ってくれましたが、
会津川口に着いたときは、バスが出たすでに7分後でした・・・
しかも、運転手さんトランクに私の荷物入れたまま、お兄さんを乗せて次の駅まで走り去ってしまいました。